第1章 奇跡(前半)

 

Ⅰ 奇跡の萌芽

―愛知県の高校野球の勢力図―

刈谷工業高校は、愛知県の西三河地区にある公立高校である。デンソーやアイシン精機などトヨタグループの主要企業の本社がある刈谷市に学校があり、卒業生の多くが自動車関連企業に就職する。生徒の9割が就職を選択し、就職率は100%の実績を誇る。

校訓は「技術者たる前に人間(ひと)たれ」。ものづくり教育を通して、社会人として活躍できる人間性を高める教育に力を入れている。私が校内を歩いていても、生徒は礼儀正しく大きな声で挨拶してくれる。工業高校というと、ヤンチャな子がいるのかなと思ったが、むしろ逆で、服装や髪形の乱れはなく、真面目な子が多いという印象を受けた。

愛知県は、高校野球の最激戦区の一つであり、2010年、2011年、2015年、2016年には、夏の全国高校野球選手権大会予選の参加校数は全国最多であった。2017年の第99回大会では、神奈川の189チーム(190)に次いで2番目に多い188チーム(189校)。ちなみに3番目は大阪の176チーム(184校)で、最少は鳥取の25チーム(同)であった。

愛知県の高校野球の歴史を振り返ると、戦前は公立高校である愛知一中(現旭丘)と愛知四中(現時習館)が競い合っていた。そこに私立の中京商業(現中京大中京)が台頭し、甲子園で3年連続優勝という偉業を達成している。

戦後は、圧倒的に私立高校が強く、名古屋市内にある中京大中京、東邦、愛工大名電、享栄が「私学四強」と呼ばれている。中京大中京の甲子園通算133勝は、2位に大差をつける圧巻の数字であり、全国制覇11回も全国一である。愛工大名電は、ご存じ世界一の安打製造機イチローの出身校であり、2005年春の選抜で全国制覇を成し遂げている。東邦は春夏合わせて45回甲子園に出場。特に春の選抜に強く、優勝4回、準優勝2回と素晴らしい成績を残している。享栄も甲子園の春夏19回の甲子園出場経験があり、多くのプロ野球選手を輩出している強豪校である。

「私学四強」に続くのは、2011年夏に甲子園初出場を果たした至学館、2014年春に甲子園でベスト4まで進出した豊川などがある。さらには愛知啓成、春日丘、愛知、愛産大三河、栄徳、桜丘、豊橋中央などが追随。私立高校優勢の構図の中で、公立高校で気を吐いているのは、豊田西、大府、刈谷、成章などがあり、過去に甲子園出場経験もある。また、中田先生と私の時習館高校時代の1学年先輩の林先生が監督をしている豊橋工業は、2015年春に21世紀枠代表校として甲子園に出場するなど公立高校ながら健闘している。

この激戦区愛知県を勝ち抜いて普通の公立高校である刈谷工業高校が甲子園に行くのは、奇跡でも起きない限り無理である。

そのような中、中田先生が指揮する刈谷工業高校は順調に力をつけていき、2014年の春の西三河大会で準優勝。オール三河大会で準優勝。夏の選手権愛知大会でベスト16(5回戦敗退)の成績を収めている。しかし、その後は、伸び悩み、2017年の春の西三河大会でベスト16。2017年の夏の選手権愛知大会では、3回戦で東邦と戦いコールド負けだった。

 

―野球ノート―

中田先生は、刈谷工業高校に赴任後、チームの基礎を早く作るために、従来型の詰め込み指導で、まずはチーム内の意思統一を図った。実際に、この指導方法で、3年間は西三河大会でベスト8以上をキープすることができ、それなりの手応えを得ていた。しかし、同時に、従来型の指導に対する限界も感じていた。そこで選手の自発性を生かすために、選手主体のチームカラーと自由度の高い練習内容に徐々に転換していった。この方法でも一定の成果を残すことができたが、課題も少なくなかった。

「もっとチーム力を高められるよい指導方法があるはず」

次なる手立てを模索する中で、辿り着いたのは野球ノートの活用であった。

野球ノート自体は、前年から始めていたが、「自分のためにノートをつけなさい」という範囲でやっていた。下級生のノートは毎週各ポジションのリーダーを務める上級生に提出することにしたが定着せず、野球ノートの位置付けが曖昧になっていた。ここで監督が一歩引いて見守るスタイルの限界を感じ、野球ノートの監督への提出を義務付け、個々の選手との対話を重視した指導を行うことへと転換した。選手の自主性を尊重しつつも、全てを任せるのではなく、監督が明確な道標を示す必要があると痛感したからである。

中田先生が自問自答しながら考え出したこのアイデアがチームを劇的に変えることになった。

2017年の夏休み直前に始動した新チームのテーマは「取り組む姿勢」。

一生懸命プレーするということは当たり前かもしれないが、それを本当にやり遂げることは決して簡単なことではない。そのためには個々の選手の意識を高めていくことが不可欠である。そこで、チーム全体の雰囲気だけではなく、個人の意識を丁寧に扱っていくためのツールとして、野球ノートを最大限に活用するようにした。

開始してみると、1~2カ月で選手の変化を感じることができた。さらには、野球ノートを通して、これまでは分からなかったさまざまなことが見えてくるようになった。今の選手の状態ではなく、3カ月先の選手の姿までイメージできるようになった。秋の大会では、1年生ながらベンチ入りした選手が6名いたが、振り返るとこの6名の野球ノートは全員丁寧な字で書かれていた。基本的なことであるが、こうしたところからも野球に取り組む姿勢の差が出てくることが分かった。

刈谷工業高校には、中学時代の有名選手が入ってくるわけではない。しかし、高校野球では、中学校までの実績は関係ない。たとえ生まれ持った運動能力に差があったとしても、毎日一生懸命練習に取り組める選手の方が試合で活躍することができるのが高校野球である。中田監督は「とにかく一生懸命やること」が大事だと選手に伝えてきた。ただ野球が上手というのではなく、むしろ毎日の取り組む姿勢の積み重ねの方が大切である。このテーマを具現化する上でも野球ノートは最適なツールであった。

野球ノートの手応えは、すぐに成果として表れた。

秋季西三河大会一次リーグ戦では3連勝し、8月19日の最終戦の対戦校は吉良高校。共に全勝同士であり、この試合に勝った方が一位通過を決める。

試合は、9回まで4対2でリード。しかし、9回裏に同点に追いつかれてしまう。そして、相手校のベンチとスタンドは今日一番の盛り上がりをみせる。勝利目前で追いつかれてしまった場合、通常、試合の流れは相手のチームに行き、精神的にも不利になる。しかし、このとき、そんなセオリーに反する違和感のようなものを刈谷工業高校のベンチから中田先生は感じていた。

常に前向きに取り組む姿勢があり、落ち込んでいる選手は誰一人いない。むしろ「絶対に勝とう!」と相手校と一緒になって集中力が上がっていき、球場全体が一つになるような一体感がそこにはあった。

今思えば、これが究極の集中状態であるゾーンという領域なのかもしれない。

延長11回表。代打ホームランの後、さらに1点を追加し、6対4で勝利。一次リーグ戦を全勝で一位通過し、そのままの勢いで秋季西三河大会二次トーナメントに臨むことになった。

 

―秋季西三河大会二次トーナメント―

2017年8月25日。シード校として2回戦から始まるトーナメントの対戦相手は豊田高校。私はメンタルトレーナーとして新チームを初観戦。ピッチャーは生きのいいボールを投げるし、キャッチャーは強肩。超高校級の選手はいないが、チームとしてよくまとまっているというのが第一印象であった。

私が高校野球を観戦するときには、試合に出ていない選手が、どのような役割を果たすことで勝利に貢献しようとしているのかにまず注目する。例えば、イニングの合間にスコアブックを片手に大きな声でバッターの特徴などを伝える控え選手が、どんなことをピッチャーや野手に伝えようとしているのかが気になる。

また、プレーとプレーの間に監督や選手がどのような動きをしているのかにも関心がある。例えば、ピッチャーが四球を出してしまったときに、誰がどのような言葉をかけているのか?ピンチのときに誰がどういうタイミングでタイムをとり、どんな雰囲気でマウンドに集まっているのか?

野球は間のスポーツと言われる。一球一球、ゲームが止まる。その間に駆け引きがある。

この試合で興味深かったのが、チャンスで空振りした選手に対する中田先生からのアドバイスである。なんと「三振して来い」と激励していた。

こういう場面で監督から「リラックスしろ」と大声で怒鳴られても、全然リラックスできないし、「ボールをしっかり見ろ」と言われると、バットが出なくなってしまう。むしろプレッシャーのかかる場面では、監督から「三振して来い」と言ってもらえた方が、気楽に打てるのかもしれない。大切なのは、ヒットを打つとか打たないとかではなく、自分のスイングをすること。その結果、三振でも構わない。ちなみに、この選手は見事に三遊間を抜けるタイムリーヒットを打っていたものだから、思わず感心してしまった。

試合の方は7対2の快勝。

二次トーナメントは、次の準々決勝で愛産大三河に1対5で敗れたものの、西三河ベスト8になり、県大会とオール三河大会への出場というチームとして掲げた目標を達成することができた。

私は中田先生から、野球ノートをきっかけとして、選手の取り組む姿勢が変わり、すごく成長してきているという話を聞いたとき、この流れでメンタルトレーニングを導入すれば、かなりの相乗効果が期待できると感じた。そして、その効果は私が想像しているものをはるかに超える可能性すらあると思った。

「もしかしたら刈谷工業高校が強豪校を撃破して甲子園に初出場する奇跡の瞬間を目撃することができるかもしれない」

まだまだ小さな芽が出始めたにすぎない。でも新しい何かが起こり始めていることは確かであった。

(第1章-Ⅱへ続く)