第2章 超集中(前半)

 

Ⅰ 前向きな姿勢

―フローの入り方-

第1回メンタルトレーニングでは、フローという満足感のある没頭状態の入り方についても講義をした。

フローとはスポーツの世界ではゾーンとも呼ばれており、修行における無我の境地と言えるものである。私が拠り所としているホロニカル・アプローチでは、ホロニカル体験と呼ぶ。フローの入り方には理論があり、心理学者のミハイ・チクセントミハイによって紹介されている。しかし、私としては、早稲田大学時代の先輩で構造構成主義を提唱した西條剛央さんから教えてもらった方法が分かりやすいと思ったので、それを伝えることにした。

西條さんの説明では、よくドラゴンボールやドラクエの例え話が出てくる。近い世代の私にとっては非常に分かりやすいが、果たして今の高校生にそれが通用するのか、それだけが心配であった。でも、それは杞憂に終わった。ドラゴンボールを知っている人を挙手させたら、みんな知っていた。やはりドラゴンボールは、時代を超えた普遍的な漫画の一つのようである。

フローとは、ドラゴンボールの例えで言えば、超人的な力を発揮するスーパーサイヤ人のような状態のことである。

刈谷工業では、「一生懸命取り組む姿勢」をテーマとしているが、そもそも強豪校は、どこも一生懸命、集中して練習しているはずである。そのチームに勝つのは、普通に一生懸命、集中して練習するだけでは不十分であり、超集中状態とも言えるスーパーサイヤ人になる必要がある。スーパーサイヤ人にならなければ、どうやってもフリーザを倒すことはできないと同じである。ちなみにドラゴンボールでは、フリーザよりも強いセルを倒すために、常にスーパーサイヤ人の状態で過ごすという修行をしている。試合のときだけにスーパーサイヤ人になるのではなく、毎日の練習を常にスーパーサイヤ人でやるところまで追求していく必要がある。

では、どうやってフロー状態に入るのか?その条件は以下の3つである。

 

1 チャレンジングだけと達成する見込みがある明確な目標があること

2 それに関心があり、自分から進んで取り組めていること

3 直接的ですぐに手応え(フィードバック)があること

 

1については、短期ゴールとも関係がある。長期ゴールとして大きな目標を掲げたら、その目標を細切りにした短期ゴールを設定する必要がある。チャレンジングだけど達成できる課題を課して、それを必ず達成し続けることでフロー状態に入ることができる。

ここでポイントとなるのは、いかに目の前の課題をチャレンジングなものにしていくのかということである。例えば、毎日の練習の準備でさえ、問題意識の持ち方を少し変えるだけで、チャレンジングなものにすることだって可能である。具体的には、自分で時間制限を決めて、限られた時間の中で、いかに効率よく準備をするのかを本気で追求していけば、日々の単純な作業でさえチャレンジングな課題になりうる。

2については、誰かにやらされる練習ではダメということである。野球に限らず、何かを上達させるには、その土台となる基礎が重要である。しかし、基礎を作るための練習は、大抵の場合、おもしろくないし、しんどい作業である。それを嫌々やっていても効果が半減してしまう。こうした練習に意味を見いだし、積極的に取り組むことが大切である。

フローに入る状態のヒントを与えるのは監督やメンタルトレーナーの仕事ではあるが、選手は、常に受け身の姿勢であってはならない。誤解してほしくないのは、フローに入るための環境作りの主体は、あくまで選手自身であるいうことである。もちろん監督やコーチが効果的な練習メニューを用意することは大切なことだが、理想的な練習環境を誰かに用意してもらうという他力本願ではなく、自分たちで創意工夫していくという前向きな姿勢があることで、練習効果をより向上させていくことが可能となる。

3については、常にポジティブなフィードバックを与えることが重要だということである。ここで問題となるのは誰がフィードバックを与えるのかということである。本来であれば、監督やコーチが行うことかもしれない。しかし、高校の部活動で1人の監督が全ての選手の行動に対して適切なタイミングでフィードバックを与え続けることは現実的ではないだろう。実は、即時のフィードバックを与えることが可能なのは、自分もしくは仲間である。仲間同士でお互いにほめ合う環境を作ることができれば、肯定的なコミュニケーションを促進するチームに近づくこともできる。

試合でホームランを打ったときに自分や仲間をほめることは誰にでもできる。そうではなくて、つらい練習を乗り越えるために、いかに仲間同士で支え合うことができるのかが重要である。そこで大切になってくるのは、一生懸命取り組む姿勢や周りへの気配りができていることを仲間同士でフィードバックし合う関係を作ることである。こうした肯定的なコミュニケーションを基盤としたチーム運営をすることができれば、フロー状態につながるいい雰囲気を作りながら切磋琢磨していけると思う。

参考までに1週間のうちに、どれぐらいフローに入っていると思うのか、挙手してもらった。控えめに1~2回ぐらいで手をあげる選手が多かった。これを毎日フローに入っている状態に持っていくことができるのか?現状では足りない分がこのチームの伸びしろでもあり、まずは取り組んでいく課題だと考えた。

 

―凡打でもハイタッチ―

西條さんによると、フローに入るための3条件を満たしているのは、ドラクエなどのゲームとのことである。確かに常に主人公のレベルにあったチャレンジングだけど倒すことができるモンスターが出現する設定になっているから楽しく遊べる。これがいきなり竜王のようなラスボスがいきなり出てきて瞬殺されたり、いつまでたってもスライムのような弱い敵しか出てこなかったりするようなゲームであれば、誰もやらないだろう。ゲームの中には、武器や魔法、乗り物など、興味を引くものがたくさん用意されているし、敵を倒すとレベルアップのファンファーレ音が鳴り響くというフィードバックがある。こうしたフローに入る条件がそろっているから、時間を忘れてゲームに夢中になることができる。

このドラクエのような状態を刈谷工業の野球部の中にいかに作り出すのか?

フローに入るための条件はシンプルだが、実際のチーム作りに応用するとなるとなかなか難しい。

もともと私がメンタルトレーナーを引き受けるきっかけとなったのは、「肯定的なコミュニケーションによるチーム作り」というテーマがあった。原点に戻るのであれば、いかに仲間同士でほめ合う雰囲気を作るのかを追求していきたい。

第1回メンタルトレーニングが終わってから、中田先生と私は、そのようなチーム作りにつながるような新しい取り組みについてアイデアを出し合った。

「一塁まで全力で走ったらハイタッチというのはどう?」

「え、どういうこと?」

中田先生の意外な一言に私は思わず聞き返した。

「一塁でアウトになっても、全力で走っていたと思ったら、ベンチに戻ってきたときに選手がハイタッチでほめるというのはどう?逆に、全力疾走していなかったら、ハイタッチしてもらえないわけだし、具体的なフィードバックになって分かりやすいと思う」

直感的に、中田先生のこのアイデアはおもしろいと思った。

少なくともそんなことをしているチームは今まで見たこともない。一生懸命取り組む姿勢を重視するチームの方向性とも合致しているし、戦術としても全力疾走に対して仲間同士でプラスのフィードバックをすることをきっかけとして試合の流れを引き寄せることができる。このように「凡打でも全力疾走したらハイタッチ」というチームの方針によって、仲間同士で常にプラスのフィードバックを出し合う風土が生まれれば、フローに入りやすい環境を作ることも可能だと思われる。

これは肯定的なコミュニケーションによるチーム作りをしていく上で象徴的な試みになるかもしれない。それぐらいの可能性を感じた。

 

公式戦で自分の力を出す

9月からは2017年秋季愛知県大会が始まった。

トーナメント表を見ると同じブロックには、中田先生と私の母校である時習館や夏の甲子園に出場した中京大中京もいる。勝ち進んでいけば、ワクワクするようなカードが実現するかもしれない。そのためには、まずは1回戦に勝たなければならない。1次リーグと2次トーナメントを勝ち進んできたチームと戦う秋の県大会で1勝することは決して簡単なことではない。

1回戦は、9月9日に熱田球場で名東高校との対戦であった。

2回表に2点を先制するも、その裏に1点返され、さらに3回裏に2失点で逆転される。

しかし、4回表に1点返し、同点のまま終盤へ突入する展開となった。

序盤からヒットは出るが、消極的な走塁が目立ち、点を取り切れない。県大会独特の雰囲気に呑まれてしまい、先発投手を含めて、多くの選手が自分の力を出し切れていない状態であった。

そんな中、8回表に先頭の代打が四球を選び、2番大畑君のタイムリーで4対3と勝ち越す。

しかし、9回裏、先頭に二塁打を打たれ、クリーンナップを迎える。

このピンチに3番打者を三振に取りワンアウト。続く4番打者の2球目にワイルドピッチでランナーは3塁に進まれるが、何とか三振に抑えてツーアウト。最後のバッターも見事にファーストフライに打ち取り、勝利を決めた。

4回からリリーフした山下君の好投などもあって接戦を制することができたが、大事な一戦での試合の入り方などの課題も残った。

次の試合に向けて中田先生は、初回の初球から自分たち主導の空気を作り出せるように日頃から時間の流れに乗り遅れない生活を送ることを課題として掲げた。

具体的には、掃除区域への移動や、ST終了後からグランドまでの移動、準備から練習開始までの行動、そして下校完了時刻にしっかり間にあわせることを意識させた。名東戦の前は、何度か下校完了時刻を守れず、試合でも流れに乗り遅れる展開になったという反省点があったからである。

野球と生活を切り離して考えるのではなく、連続性のあるものとして全体的に捉えることが重要である。毎日の生活を大切することが、大事な試合で勝負を決める1球へとつながっている。そして何より、スポーツを通して人間的な成長を目指す指導方針は、部活動の本来あるべき姿だと思う。

2回戦の対戦相手は、時習館。

ポテンシャルの高い選手が集まっていて強いとの評判であった。9月18日に春日井市民球場で行われたこの試合は、時習館の野球部OBの私にとっても注目の一戦となった。

刈谷工業は、下校完了時刻を守るなど、時間を先取りすることをテーマに日々の生活を送り、当日には自分の力を出し切ることをテーマに試合に臨んだ。

試合前のノック。

時習館の個々の選手のレベルで言えば、刈谷工業よりも上なのではないかと思うほどであった。しかし、野球はチーム競技である。個々の選手の力量で劣ったとしても、チームワークや戦術によって相手に勝つことは可能である。

先制したのは時習館。

3回裏にツーアウト2、3塁から4番が2点タイムリーツーベースを打った。

しかし、追いかける側の刈谷工業に悲壮感はない。

ベンチでは、 自分たちの野球を何パーセント出せるかという目標を再確認し、たとえ凡打であってもやるべき一塁までの全力疾走ができていた場合には、笑顔でハイタッチをし、自分たちの雰囲気を作り続けることに集中した。

打者がアウトになっても、一塁まで全力疾走をして、ベンチでは選手がみんなでそのことをほめてハイタッチで迎える。

試合に負けているにもかかわらず、選手は前向きな姿勢でプラスの声かけをし続ける。

こうしたチーム全体の姿勢が、試合の流れを引き寄せることになる。

まさに新しい刈谷工業の野球の真骨頂。

すると、4回表にすぐに同点に追いつき、5回表にも2点を追加し、4対2で折り返した。 なおも、自分たちの野球をすることにフォーカスし、7回に3点を追加。

結局、終わってみれば7対2の快勝で、公式戦で自分たちの力をしっかりと出すことができた。

3回戦進出を決め、次はいよいよ愛知県ベスト8をかけて中京大中京と対戦する。

トーナメントでは、なるべく強豪校とは対戦したくないが、刈谷工業が本気で甲子園を目指すのであれば、目標に対する現在地をしっかりと把握する必要がある。そういう意味では、中京大中京はこれ以上のない相手であり、刈谷工業がこれから起こす奇跡に向けたターニングポイントになりうる試合と言っても過言ではないだろう。

強豪校を相手に、自分たちの力をどれほど発揮することができるのか?

メンタルトレーナーとしては、試合の勝敗にかかわらず、強豪校に胸を借りるつもりで思いっきりぶつかっていくことで、選手がこれから飛躍するための何かを掴んで欲しいと思った。

(第2章-Ⅱに続く)

 

超サイヤ人悟空