第5章 創造力(前半)
Ⅰ 肯定ファースト
―最新学習歴の更新―
選手たちのがんばりを見て、メンタルトレーナーの私自身のレベルも向上させたいと思った。
私がメンタルトレーニングで重視している視点は、「マネジメント」である。
選手個々のセルフマネジメント能力を強化しつつ、チームワークを最大化することで、弱者が強者に勝つ「Giant-killing(番狂わせ)」を起こすことができると信じている。
そのため、「マネジメント」についてしっかりと学ぶ必要があると考えた。
『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』というベストセラー小説があるように高校野球とマネジメントの相性はよいはずである。
刈谷工業がマネジメントの視点を取り入れることで甲子園に出場することができたら、まさにリアル「もしドラ」になる。
そう思っていたところ、私の早稲田大学時代の先輩である西條剛央さんが社会人向けの大学院を新しく創るという話があった。
その名も『エッセンシャル・マネジメント・スクール』(略してEMS)という。
EMSとは、世界初の「本質」を学ぶための学校であり、セルフマネジメントからチームや組織のマネジメントまで応用可能な「人間の原理」「価値の原理」「方法の原理」「理論の原理」など50年後、100年後でも有効性が失われない普遍的な原理を軸に、幸せな人生をマネジメントしていくための本質行動学のエッセンスを学びながら、それぞれの関心に応じて望ましい状態を実現していく実践を身につける「場」である。
マネジメントは「経営」や「管理」と訳されているが、西條さんによると、それはマネジメントの本質ではない。マネジメントとの本質とは、「望ましい状態をなんとかして実現してくこと」である。
このように定義することで、日々の生活、自己実現、人間関係、組織づくりなど、人間が行うあらゆる活動は、すべて「マネジメント」として捉えることが可能になる。そのため、マネジメントの本質を学ぶことの適用範囲は非常に広いと考えた。
年度末で本当に忙しい時期であったが、2018年1月30日から3月20日まで、私はEMSの0期生として学ぶことを決意した。
人生の学びに終わりはない。
最終学歴ではなく、最新学習歴を更新し続けることで日々成長していきたい。
―創造的な場づくり―
EMSには、経営者や教育関係者、さらには様々な分野のプロフェッショナルの方々が150名近く参加していた。
すでに第一線で活躍している、その道の一流の方々が「教える側」ではなく「学ぶ側」として参加する。その事実だけでも、EMSで「本質」を学ぶことの意義深さは十分に伝わるだろう。
「経営の本質とは何か」「教育の本質とは何か」「〇〇の本質とは何か」という問いについて、このメンバーで対話したら何か起きるのか、想像するだけでもワクワクしてくる。
さまざまな背景を持ったメンバーが参加するEMSでは、グランドルールのようなものがあった。
それは「肯定ファースト」である。
「人間とは何か?」を考えたとき、ほとんどの人は肯定されたいと望んでいるだろう。
そのため、拒絶、拒否ばかりしてくる人のことは嫌いになるし、逆に、自分の存在を承認し、肯定してくれる人のことを好きになる。
人は、正論ばかり振りかざして否定ばかりしてくる人のことよりも、自分の置かれている状況を理解してくれた上で応援してくれる人の話を聴こうと思う。
気持ちよく建設的にコミュニケーションをするためにまずは肯定ファーストが必要である。
ただし、これは「どんな人もどんな時も肯定しなければならない」ということではない。
まずは自分を肯定することが大事であり、相手に迎合することでも、自分を犠牲にすることでもなく、自分の心を尊重し、同時に相手の心を尊重するのが真の肯定ファーストである。
私にとってのEMSは、異文化交流の連続であった。
私の専門はカウンセリングであるため、ビジネスの世界とは感覚が違うところが少なくなかった。近接領域のコーチングなどの方々と対話しても「何か違う」という不一致を感じることがあった。
ある授業では、3.11がテーマになったときがあった。東日本大震災への思いは、東北の人と、東京の人では違う。帰宅難民が多く出た東京と比べると、名古屋ではほとんど影響はなかった。関西の人となると、阪神淡路大震災の方が身近で、インパクトが大きかったかもしれない。当時、海外にて日本にいなかった人もいた。そんな中での対話では、大きな不一致が生じ、正直、しんどいと思った
でも、肯定ファーストで対話を続けていくことで気づいたのは、誰一人として同じことを考えている人はいなくても、それぞれの立場で傷つきを体験しているという点では同じということである。さらには、自分と同じようにみんなも「モヤモヤする」という気持ちを感じていた。そのことが分かった瞬間、不一致であることを共有する「不一致の一致」とも言える現象が生じて、他の人とつながれたような感覚を感じることができた。
これは一つの例であるが、EMSは、このように不一致を感じつつも、あるときは魂が共鳴するような一致体験を経験することができる「場」であった。「もっと話したい」と夢中になって対話して時間があっという間に過ぎていく充実した時間でもあった。
一致・不一致の「ゆれ」を楽しむことを通して、私の中で、新しい発想が発見されたり、新しい問いが生まれたりすることが起きていた。
このように考えると、何か新しいものを創造するためには、肯定ファーストをベースとした安心・安全な「場」が必要不可欠ということだろう。
何か不一致を感じ、それを表現したときに、自分よりもパワーを持った人から「それは間違っている」と頭ごなしに否定されてしまえば、創造的なものは何も生まれないし、一歩間違えればハラスメントに発展するリスクがある。そういう空気があるところでは、本音が言えなくなり、忖度と迎合ばかりにエネルギーを消費して疲弊してしまうだろう。
そうではなく、相手の発言を承認した上で、自分の意見として異なる意見を述べる。そこで不一致が生じたことを共有する「不一致の一致」を味わうことが創造の第一歩だと思う。
価値の多様化と不確実性が増す時代においては、お互いが一致を求めるのではなく、むしろ不一致に伴うモヤモヤ感を共有し、その「ゆらぎ」の中にみんなで留まるとき、その異文化交流の「場」から新しいものが創造されてくると考える。
その大前提になるものが「肯定ファースト」である。
EMSで体験したことは、これからのメンタルトレーニングに生かすことができるだろうし、私のこれからの人生を大きく変えるほどのインパクトであったと思う。