第1章 奇跡(後半)

 

Ⅲ 奇跡への道のり

―ミラクル・クエスチョン―

「これからメンタルトレーニングという新しいことを始めますが、最初にみんなにしてもらいたいことがあります。それは未来をイメージすることです。『こうなりたい』という未来を具体的にイメージできればできるほど、それが実現する確率は高くなります。まるで映画のシーンのように、なるべく鮮明にイメージしてほしいです」

「例えば、こんな状態はどうでしょう?これからメンタルトレーニングを受けることで、個人やチームが変化していきます。もちろん順風満帆ということはなく、大変なことや苦しいこともたくさんあります。でも、それらを乗り越えて、全てがよい方向に向かっていき、チームは最高の状態になっています。そんな未来をイメージできますか?」

「ちょっとおかしな例えかもしれないけど、今からドラえもんのタイムマシンのようなものに乗って約10カ月後の夏の大会のときにタイムスリップします。空から未来の自分たちを見たとき、どんなことが起きているのを見るでしょうか?」

これは解決志向アプローチという心理療法のミラクル・クエスチョンという質問技法である。タイムマシンの例えを使う場合には、タイムマシン・クエスチョンと呼ばれることもある。今回のメンタルトレーニングのワークでは、この質問を応用して、夏の大会のときの理想のチーム状態をイメージしてもらった。それがこれから目指していくべきチームの将来像になりうるはずだと考えた。

A4サイズの野球ノートの上半分に枠組みを描いてもらい、そこに奇跡が起きた状態を表現するタイトルと、その未来で起きているエピソードを箇条書きで書いてもらった。それぞれの選手が自分のペースで野球ノートに未来を描き始めた。

選手がワークに取り組んでいるのを待っている時間、せっかくなので私自身もこの質問の答えを紙に書いてみることにした。

刈谷工業高校の選手は、強豪校を倒すことを大きな目標としていた。高校球児の憧れは甲子園だが、実際に行ったことがなければ「甲子園」といっても、もしかしたらイメージすることは難しいのかもしれない。しかし、2017年の夏の大会は、東邦と試合をしているし、他の強豪校とも試合はしたことがある。実際に戦ったことがある相手を倒すことであれば、全くイメージできないわけではない。

しかも、来年の夏の甲子園は、第100回記念大会である。そのため、第80回、第90回大会と同様、愛知県は三河と尾張で東西に分かれ、2校が甲子園に出場することができる。

愛知県では、「私学四強」をはじめとする強豪校の多い名古屋地区から16年連続で代表校が出ている。本来であれば、愛知県で甲子園に出場するためには、中京大中京、愛工大名電、東邦、享栄といった強豪校に連勝する必要がある。しかし、来年に限って言えば、刈谷工業高校を含む東愛知地区の高校は、西愛知地区の「私学四強」と戦わなくてもよい。つまり、「私学四強」と互角に戦える力さえあれば、甲子園だって十分に狙える。

ちなみに中田先生が率いる刈谷工業高校は、過去に全三河大会で準優勝したこともある。三河地方が中心の東愛知大会で優勝するということは、決して現実離れした目標ではない。

刈谷工業高校の選手全員が本気で「甲子園」を目標にしているかは分からない。しかし、「行けるものなら甲子園に行きたい」という気持ちは十分に伝わってきた。私はそんな場の雰囲気を感じながら、選手たちと同じような気持ちになりながら一枚の紙に刈谷工業高校の未来を描いた。

刈谷工業高校の選手に「こんなチームになってほしい」という願いを込めて、『最強の「チーム」が創る感動』というタイトルをつけて、みんなと共有した。

具体的に来年の夏に起きていることは、「①最強のチームワークで愛産大三河、豊川、桜丘などに連勝し、東愛知大会の決勝で8対7のルーズベルトゲームを制し、甲子園出場を決めている。②試合に出ている選手だけではなく、ベンチやスタンド、マネージャーが一つになって勝利に向かってやるべきことを自分で考え、進んで行動している。③エラーしても、四球を出しても下を向かない。前向きな言葉をチームメートで出し合って本番で力以上のものを発揮している。④甲子園という大舞台でも萎縮せず、全国の強豪校と互角の戦いをしている。⑤3年生が引退したときにやりきった気持ちから晴れやかな涙を流している」と書いたことを発表した。

東愛知大会決勝の9回裏。相手チームの最後のバッターを抑える。超満員のスタンドからの大歓声があがり、選手全員が最高の笑顔でマウンドに集まる。スタンドでは、控え選手や応援団、保護者の方が涙を流しながら喜んでいる。そんなイメージが自然と湧きあがってきた。

私は、メンタルトレーナーを引き受けるにあたって、中田先生に対して、勝ちにはこだわらないと宣言していた。しかし、もともと負けず嫌いで、どうせやるなら大きなことを成し遂げたいと思う性格である。「強豪校を倒して甲子園に行きたい」と選手が本気で思っているのであれば、それを全力で応援したいと思った。

もし刈谷工業高校が甲子園に出場することができたら・・・

本当に感動のドラマが誕生すると思う。そんな映画のような未来を想像するだけで、ワクワクした気持ちになり、力がみなぎってくる感覚が生まれた。

 

―スケーリング・クエスチョン―

ミラクル・クエスチョンの回答を選手全員が書き終わったら、今度はA4サイズのノートの下半分を埋める作業に取り掛かった。

ここには奇跡が起きた状態につながる道のりを描いてもらい、今日時点で、どのあたりにいるのか点数をつけてもらうことにした。これはカウンセリングの技法としては、スケーリング・クエスチョンと言う。点数をつけることを通して、自分自身を対象化し、客観的に分析することで、自己理解を深めることが狙いである。

「みんなが描いた未来の状態が全て起きている最高の状態が100点で、それが全く起きていない最悪の状態が0点だとして、今日今時点は何点ですか?」

このような質問を選手に投げかけつつ、私はとりあえず「50点」をつけた。

この点数には、正解はない。それぞれが思った点数をつければいい。高い点数をつけた選手もいれば、0点とか10点とか低い点数をつけた選手もいた。

さらに点数分できていることについても記入してもらった。例えば、私の場合、50点分できていることは何なのかを書き込んでいった。

チームとしては、西三河地区大会でベスト8になり県大会の出場を決めた。

今回のメンタルトレーニングに対しても、選手は真剣に話を聞き、質問なども多かった。そこで、日々の生活を一生懸命過ごすことや、目的意識を持って練習することの大切さが語られた。さらには、野球ノートの活用の仕方が素晴らしい。

これだけのことができていれば、50点分ぐらいはあるだろうと私は評価した。

 

―要求レベルを下げることの意義―

「では、今が50点だとして、次は何点を目指すべきだろうか?」

ここでのコツは、あまり高い目標にしないようにすることである。

ミラクル・クエスチョンの回答が長期ゴールだとすれば、それは夢のある大きなことの方がよい。この目標が小さすぎると、モチベーションがあがらない。

その一方で、1カ月の目標のような短期ゴールは、チャレンジングだが、確実に達成できるレベルの課題にするのがコツである。

一つの目安は、その目標がどれぐらいの確率で達成する自信があるのかということである。理想は100%、少なくとも80%ぐらいの自信は欲しい。それよりも低い自信しかないのであれば、短期ゴールの目標としては高すぎるのかもしれない。

なぜならば、パフォーマンスを最大化するためには、プラスのフィードバックをし続ける状況を作り出すことが大事だと考えるからである。目標を達成し、プラスのフィードバックがあることで、さらなる困難な課題にチャレンジするモチベーションが生まれてくる。そのため、短期目標は、必ず達成できるものにすることが望ましい。

高い目標にしてしまうと、調子がいいときには達成できるが、調子が悪いときには、達成できないときも出てくる。そうなると、自分に対してマイナスのフィードバックを与えることになり、モチベーションが下がり、パフォーマンスが低下してしまうこともありうる。

仮に低い目標にした場合、それだけやっていればいいということではない。自分がやりたければ、目標を上回ってやっても構わないし、むしろそういうところから自発性を育むこともできる。

例えば、今まで家で素振りを一度もしたことがなかった人が「家で素振りを500回する」という目標を立てても、三日坊主になってしまう可能性が高い。今までが0回ということは、1回素振りしたら、前の自分よりも成長しているわけである。そのため、極端に言えば、「家で素振りを1回以上する」という目標であってもいい。

その場合、1回しか素振りをしてはいけないというわけではない。

まずは1回素振りをしたら、目標を達成したわけなので、自分のことをほめるなど、プラスのフィードバックをすればよい。さらには、2回目以降の素振りは義務ではなく、自分が好きでやっていることになる。すると能動性が生まれてくる。仮に「1回以上」と決めて、400回素振りをしたら、ものすごく充実した気持ちになるが、「500回」と決めていたら、「あと100回も足りなかった」と自分のことを責めることになるだろう。

つまり、要求レベルを下げることで、同じことをしても、そのことに対する捉え方が変わってくる。高い目標を設定して、それに届かなった場合よりも、低い目標を設定して、それを大きく上回った場合の方が、次へのモチベーションへとつながりやすい。

これは子育てや教育などにも通じるところがあると思う。

しつけや指導がうまくいかずに悪循環に陥り、虐待やハラスメントに発展してしまう背景には、要求レベルの高さがあることが多い。人は誰でもマイナスのフィードバックばかりを与えられると、やる気をなくしたり、反発したくなったりするものである。まずは目の前にいる相手の状態を見極めて、チャレンジングだけれども達成が可能である適切な課題設定をすることが重要である。そうすることで、ほめることが中心となり、プラスのフィードバックが与えられ続けることで、好循環が生まれる。

特に、野球は失敗のスポーツである。

ヒットを打つ確率は一流選手でも3割。厳密にいえば、金属バットを使う高校野球では、もっと高い打率の選手もいるが、いずれにしろアウトになる確率の方が高い。それなのに「ヒットを打つ」という目標を立ててしまうと、アウトになるたびにネガティブなフィードバックを受けることになる。

その一方で、「常に全力疾走をする」「自分のスイングをする」という目標はどうだろうか?これならしっかりと意識さえしていれば、実現可能だろう。そもそもヒットを打つということは、自分ではコントロールできないことである。芯でとらえても野手の正面に飛べばアウトだし、逆に打ち損じても、飛んだところがよければヒットになるのが野球である。そんなことに一喜一憂していては安定したパフォーマンスは出せない。自分でコントロールできることに全力で取り組めたら自分で自分のことをほめればいい。

でもそれも簡単にはできないかもしれない。そんなときは仲間同士でほめ合うことが大事である。

実現可能性の高い目標をチームで共有して、それが達成できたら、お互いにほめる。そうすることで、今よりも一歩前進することができる。人間の成長はミリ単位である。ある日いきなり大きくなる人はいない。だから、大きな夢を掲げたら、それを細かく切って、たくさんの短期ゴールを一つずつ着実にクリアしていくことが大切である。

そのように考えていくと、1カ月後のメンタルトレーニングのときには、10点あがっていれば十分である。本当は、20点ぐらいあがってほしいが、ここは欲張ってはいけない。5点でも決して悪くはないし、自信がないときには現状維持を目標にしても構わない。

「1カ月後に10点あがるためには、何が起きている必要がありますか?」

近い未来のチームをイメージしてみる。

例えば、「今回のメンタルトレーニングの内容が書かれた野球ノートをときどき読み返して、意識して生活を送っている。毎日どんな些細なことでもいいから、自分のことをほめるようになっている。仲間同士でも今まで以上にお互いのことをほめ合うようになっている。その結果、試合での声かけの内容や質が変わってきている。練習の準備や与えられた役割を自分で工夫して前向きに取り組んでいる。練習で集中して取り組む時間が前よりも増えて効率があがっている」

こんな状態になっていることを見ることができれば、10点上がって60点になっているだろう。こうやって書き出してみると、決して難しいことではない。今のチームの雰囲気があれば、おそらくできるようになるだろう。自信は80%ぐらいあるし、妥当な目標設定だろう。

これは私の回答だが、このような作業をそれぞれの選手にも行ってもらった。

奇跡が起きた状態を目的地として設定し、そこにつながる道のりを描く。まさに夢の実現に向けた地図作りとも言えるワークに選手と一緒に取り組んだ。

(第2章-Ⅰに続く)