第3章 健全な仲間関係(後半)
Ⅱ 自分たちの目指す野球を100%やりきる
―刈谷工業の目指す野球―
いよいよ第100回全国高校野球選手権記念東愛知大会が開幕。
刈谷工業はCブロック。どのチームも手強い相手だが、刈谷工業の目指す野球を100%やりきることができれば、勝ち進むことはできるはず。
では、刈谷工業が目指す野球とは何か?
東愛知大会・西愛知大会の全チームの紹介が書かれている冊子には、「Positive Feedback!」と書かれたチーム写真ともに、以下のように紹介されている。
『大事な場面で自分の力を出し切るには、普段どうあるべきか』このテーマを原点とし、野球の上手さよりも、人間性や取り組む姿勢を重視してきた。毎日の『野球ノート』で練習の質を上げ、グラウンドでは『出力強化』で意志を共有しチーム力を高めた。また試合では、できていることを全員が評価する肯定的コミュニケーションをベースに、チームの雰囲気を上げていく戦い方が持ち味で、どのような展開でも自分たちの目指す野球を100%やり切ることに拘りを持って戦う |
刈谷工業では、野球の上手さよりも人間性や取り組む姿勢を何よりも大切にしている。
練習の1球が大事な場面での1球につながっていると考え、普段の練習から100%の出力を出し切れるように意識を改革した。
さらには、ポジティブ・フィードバックに代表されるように、肯定的コミュニケーションを常に心がけることでチームワークを高めてきた。
こうした取り組みを通して、選手たちは本当に成長したと思う。
あとはこれまで積み重ねてきたものを全部出し切ってほしい。
そうすれば、結果は後から自然についてくると思う。
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7月7日。1回戦の相手は半田東。
秋の県大会でベスト16まで進んだチーム。
序盤は一進一退の投手戦。
しかし、4回に3番大塚君の先制ホームラン。
これをきっかけに打線が勢いづき、6回は一挙6得点のビッグイニングに。
ピッチャーの上野君は相手を1安打に抑え込む完璧なピッチング。
刈谷工業としては、ほぼパーフェクトの試合運びをして、8対0のコールド勝ち。
2回戦へと進む。
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7月14日。相手は1回戦で豊田高校にコールド勝ちした阿久比高校。
1回表、刈谷工業は幸先よく2点を先制する。
3回に1点を追加し、6回表が終わり3対0。ピッチャーの上野君は相手をここまでノーヒットに抑え込んでいた。
しかし、6回裏。炎天下の中でのピッチングで少し疲れが出たところに阿久比高校の初ヒットが出る。そこで阿久比高校のベンチとスタンドは、大喜びでものすごい盛り上がりを見せる。そして、その勢いのまま1点を返される。
6回の攻防が終わって3対1。負けたら終わりの夏の大会では2点差では何があるか分からない。流れは阿久比高校の方に来ており、正直、嫌な展開だと思った。
しかし、刈谷工業の選手は、ここから凄まじい集中力を見せる。7回表に連打で得点を重ね、さらには三浦君のホームランも飛び出す猛攻。一気に6点を追加する。
7回裏もリリーフした山下君が相手の反撃を最少失点で抑え、9対2のコールド勝ち。このような展開は予想していなかったが、これは決して偶然ではなく、刈谷工業の選手の野球に取り組む姿勢の勝利だったと思う。それほど試合の内容が良かった。
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そして7月16日は3回戦。相手は碧南高校。
刈谷工業の先発は上野君。中1日の登板の疲れを見せることなくナイスピッチング。
4回に上野君のタイムリーで先制すると、その後も順調に得点を重ね、4対0のまま最終回へ。
しかし、夏の大会はそう簡単には勝たせてくれない。
この夏の異常気象で愛知県は40度近い気温に上昇していた。
そうした中で打撃のよい上野君はツーベースとスリーベースを放ち、塁上を全力疾走し続けていた。
9回裏になると、さすがに体力の限界になり、突然ストライクが入らなくなる。
そして、9回裏ノーアウト満塁の大ピンチを迎え、試合の流れは碧南高校へ。
ここで相手打線を完璧に封じてきたエース上野君は降板。碧南高校のスタンドのボルテージは最高潮に達して球場全体が独特な雰囲気に包まれる。
この勢いをとめることはできず、碧南高校にタイムリーヒットが出て4対2。さらにランナーは満塁になり、長打が出れば逆転サヨナラ負けの局面になる。
(負けるかもしれない・・・)
刈谷工業側には、最悪のシナリオのイメージが頭によぎる。
この場面で、再びピッチャー交代。
途中降板してセンターを守っていた上野君がピッチャーに戻る。
もう身体は限界のはず。ストライクが入るかも分からない。
でも、ここまで来たらエースと心中するしかない。
みんなが祈る中、上野君は最後の力を振り絞って、腕を振り切る。
そして最後のバッターをショートゴロに抑えて見事勝利!
本当に苦しい試合だった。でも、あの展開でリリーフした山下君も、体力の限界だった上野君も決して押し出し四球を出さなかった。野手も緊張する中で、しっかりと守り切ったのは素晴らしかった。
流れが悪いときにこそ、ベストな精神状態で自分の力を発揮して、何とか持ちこたえることができるようにすることは、メンタルトレーニングで取り組んできたテーマである。
夏の大会で試合を重ねるごとに精神的にたくましくなっていく刈谷工業の選手を頼もしく思う。
これで東愛知大会ベスト16。
目指せ甲子園!がんばれ刈谷工業!
―最高の感動をありがとう―
7月21日は、Cブロック決勝でベスト8をかけて刈谷高校と対戦。
刈谷高校は好投手を擁するシード校。ここまで来ると対戦相手のレベルは客観的にみれば刈谷工業よりも上。
刈谷高校のスタンドはブラスバンドの応援があり、球場の雰囲気もこれまでとはひと味違う。
だが、同じ高校生。野球に取り組む姿勢や戦術、メンタルの部分で勝れば十分に勝算はある。
1回表の刈谷工業の攻撃は三者凡退。対する刈谷高校は、キレのある上野君のストレートに力負けすることなく、しっかりと打ち返してくる。そして、いきなり1回裏に1点を先制される。
打線も相手投手の切れ味鋭い変化球にタイミングが合わず完全に抑え込まれる。
しかし、3回裏2死から9番がエラーで出塁するとそこから3連打で1点を返す。なおも、満塁のチャンスに4番大畑君。強い打球が外野に飛んだがセンターがつかみ、スリーアウトチェンジ。
その後、試合は1対1のまま5回裏へ。刈谷高校の上位打線がチャンスを作り、内野ゴロの間に1点を許し、1対2。さらに7回裏に4番の強烈な一打で1点を追加されて1対3。
そして8回表の刈谷工業の攻撃。先頭の3番の大塚君が出塁。5番の北代君が四球でつなぐ。そして2死2、3塁のチャンスに代打の切り札石川君。打球はレフトに飛ぶが、相手のファインプレーに阻まれる。
続く8回裏。マウンド上の上野君からは「絶対に勝つ」「必ず3人で抑えてやる」という気迫が伝わってくる。最後は今日最速の133キロのストレートで三振を奪い、球場が湧く。まさに流れを自ら引き寄せる攻めのピッチングだった。
そして最終回。先頭の三浦君は内野ゴロも捨て身のヘッスライディングでセーフに。さらに盗塁で2塁へ。続く代打の黒柳君の打球は内野ゴロも、相手にエラーが出る。
送球が逸れてダッグアウト方向に転がる間にランナーがホームイン。
土壇場で1点差として、なおもノーアウト2塁のチャンス。
1番杉本君がプレッシャーの中で見事スリーバントを決める。ランナーを3塁において2番はキャプテン南君。長打も小技も何でもできるバッター。
ここは投手の厳しい内角攻めに死球となるが、盗塁を決めて1死2、3塁とする。
あとはクリーンアップの打撃に期待するしかない。
犠牲フライでも同点の場面だったが、3番大塚君はセカンドフライに倒れ、ツーアウト。
だが、ランナーは2、3塁。ヒットが出れば一気に逆転の局面で頼れる4番大畑君。
ここからの刈谷高校の投手は圧巻だった。
際どいコースに変化球を決められて簡単に2ストライク追い込まれてしまう。
ここでタイムをかけて伝令を出す。
背番号14の福田君がバッターサークル付近に走り、一声をかけ、任せたぞと肩を叩く。
そこで間が作られて大畑君の力みが少しとれる。
次のボールの見逃し方も悪くない。まだまだ行ける。
そう思った次の瞬間、最後は相手投手のベストボールを前に三振。
2対3でゲームセット。
刈谷工業の夏が終った。
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試合後の中田先生からの選手や保護者へのメッセージ。
「悔しいが後悔のない戦い様だった」
「最後の最後まで刈谷工業の目指す野球をやりきることができた」
「一年前からすると想像以上のチームになった」
「プロセスが成果につながるという野球を通して学んだことを、これからの人生に生かして欲しい」
スポーツマンシップに則り、正々堂々と戦った結果である。
正直、もっと上まで行けたかもしれないという気持ちはある。
でもやりきったから後悔はない。
刈谷工業野球部のホームページには「勝利を目指す本気の姿勢に人間的な成長がある」とある。これは勝利こそが唯一絶対のものとする勝利至上主義というわけではない。勝とうという努力が重要である。
スポーツをする上で勝つことは大切なことである。しかし、その勝利に意味があるのは、勝利を目指して優れた選手になろうと努力する中で、仲間と切磋琢磨し、自己理解や他者理解を深めるという素晴らしい体験ができるからである。
引退する選手たちの最後のメッセージを聴いて確信を持ったことは「本気の努力を積み重ねることで得られるのは、人間的成長である」ということ。
そのことを選手は身をもって体験することができたのではないか。
この経験は、必ずこれからの人生の財産になるはずである。
「このメンバーで一緒に野球がやれて本当によかった」
引退したときに、そう思えることが一番大切だと思う。
私もメンタルトレーナーとして、こんなに素晴らしい選手たちに出会えて、甲子園という夢を一緒に見させてもらい、本当に幸せだった。
こんなにまで一生懸命野球に取り組むことができた選手たちを誇りに思う。
最高の感動をありがとう。